裏庭日記:贈り物について

この1年の記録も。
SayakaF 2026.04.11
誰でも

こんにちは、フェリックス清香です。いかがお過ごしですか? こちらは異例の長雨の冬が過ぎ、福寿草やヒメオドリコソウ、ツルニチニチソウ、マーガレットがそこここに咲いていて、春爛漫です。久しぶりにお便りしようと思って直近にお送りしたものの日付を見たら、2025年4月9日でした。1年ぶりのお便りです。

近くの村で咲いていた八重桜。関山だと思う。

近くの村で咲いていた八重桜。関山だと思う。

この1年、ひたすら介護をしていました。おじいちゃん犬カシスの介護です。カシスは3月下旬、19歳まであと2週間あまりというタイミングで、とうとう旅立ってしまいました。最初に別れを意識したのは2024年の3月、そのあと何度か覚悟するようなことがあったのに、ここまで頑張ってくれました。カシスは最期の日までかわいくて、高貴で優しかった。最期は安らかに眠るように旅立ちました。

寂しいですが、ゆっくり旅立ってくれたので崩れ落ちずにすんでいます。ああすればよかった、こうすればよかったと思うことは多々あります。でも、その時にはできなかった。その時々で、私にできる限りのことはやったし、カシスもやらせてくれたのだと感じます。

「ああとし子 死ぬといふいまごろになつて わたくしをいつしやうあかるくするために こんなさつぱりした雪のひとわんを おまへはわたくしにたのんだのだ」
宮沢賢治「永訣の朝」に、こんな部分があります。賢治にとって、トシのこの頼みは一生を明るくするような贈り物になったのでしょう。カシスの最期の日も贈り物のようでした。

最期の日は、長らく見なかったきれいな晴れの日で、日差しも暖かく、カシスをバスタオルに包んで抱っこして庭に出ることができました。好きだったローズマリーやタイムの葉を摘んで匂いを嗅がせてやり、日差しを味わわせてあげられました。午後は久しぶりに私の膝の上に乗せて背中を撫でながら過ごし、夫が帰ってくるとびゃうと鳴いて要求したので2人がかりで少し食べました。頻繁に鳴くので、隣に座って頭を撫でたり、背中をとんとんしたりしました。夜に上手に排泄ができたので全身をきれいに拭いて整えてブラッシングをし、新しいバスタオルに包んで寝かせました。そして、私たちが久しぶりにのんびり、和やかに仲良くしているなかで、そっと旅立っていきました。

それまでしばらく、夜中のお世話が大変で私たちはちょっとギスギスしていました。雨が長く続いてカシスを外に出してあげることもできず、カシスも抱っこを嫌がるようになっていて、常に布団に寝かせたきり、ほとんど動かすこともできなかった。毎晩戦争を心配してテレビを観ていたのに、その日はテレビでインディジョーンズの映画をやっていて、それを観ていました。最期の日はいつもと違ったのでした。

以前にカルマキッチンというギブ&ギブで経済が回るかを実験するレストランイベントをやっていたことがあります。その時に感じたのは、何かを受け取ってもらえることが贈与になる瞬間があるということ。お金のためではなく、純粋にお客さんに喜んでもらいたいと思ってやったことを、実際に喜んでもらえた瞬間、大きな喜びが得られて、もうそれで報酬はもらったような気分になることを知りました。きっと子育てでも、赤ちゃんをお風呂に入れた時に、赤ちゃんが気持ちよさそうに「ほっ」なんてため息をついたら、それですべて報われたような気持ちになるのでしょう。そういう瞬間が、介護にはたくさんありました。

ただ、それってゆとりがないと成立しないのです。介護の最後の方は、毎日かわいいと思う瞬間は必ずあったけれど、あまりに毎日寝られなすぎて眠すぎて私たち夫婦は二人ともくたくただった。でもカシスの最期の日の2日前から、カシスはよく寝てくれて、それで私たちはカシスを純粋にかわいいと思える気持ちを取り戻せていました。もし最期の日がああいう日でなかったら、たぶん長らく自責の念に苦しんだと思います。そういう意味で、奇跡のような、贈り物のような時間でした。

春に旅立たれるのは、残されたものにとって少し救いがあります。長らくカシスを、いろんなことにチャレンジをしなかったり外に出なかったりする言い訳にしてしまっていたので、外に出ようと決めました。

また、お便りします。束の間の春、あなたにたくさんの心豊かな時間がありますように。

***

<ここ1年の裏庭日記>

小さなことを、毎月何日かずつ。
1年分なので長く、後半は介護の記録が多いです。
ご関心があれば。気持ちに区切りをつけたく、一気にお送りしてしまいました。

2025年4月某日
買った車に名前をつけた。「ゆきこ」。白いから雪子で、乗って出かけるから行子で、威勢よく走るから征子。どうしても買い物をする必要があったのだけれど、カシスを置いていけないのでバッグに入れて、ゆきこに乗って行く。買い物中、カシスはバッグのなかで大人しく寝ていてくれた。

2025年4月某日
新しい仕事のオンラインミーティング。複数著者で、それまでみなさんが数年間コミュニケーションしてきたところに入れていただいた。ご本人たちと想定読者がけっこう離れている。「著者が言いたいこと」を「読者が聞きたいこと」にするのに、読者の解像度が悪いように感じた。そこは私が頑張らなければ。

2025年4月某日
ヴェネチア・ビエンナーレ建築展関連のお仕事をいただいて張り切る。今年の生涯功労賞はダナ・ハラウェイに贈られると知って、さらに張り切る。ジェーン・ベネット『震える物質』を読み始めた。「私も考えていた!」がたくさんあって泣きそう。ダナ・ハラウェイもベネットも、関係性についての研究者だ。そういう時代なのだと思う。

2025年4月某日
肺炎で危なかったカシス、少し落ち着いた。弱いけれど、昼間外に出したらおしっこができた。自分でおしっこができたのは久しぶり。フロイトは糞便を、「子供が他者にできる最初の贈り物」(子供が自分の自然の欲求から糞便をすると、親は「よくできた」と喜ぶことから)と言っているらしいけれど、最後の贈り物も糞便だ。おしっこが出なくなったら生き物は死んでしまう。母方の祖母が亡くなるちょっと前に、母が「もうおしっこが出なくなった」と嘆いていたのが忘れられない。

2025年4月某日
何日もこれが最期かなと思ったけれど、肺炎の薬が効いたようでカシスの元気が戻ってきた。よかった。ヨン・フォッセ『朝と夕』を読む。ハン・ガン『すべての、白いものの』とは全く似ていないけれど、同じように体験させてくれるすばらしい読書。

2025年5月某日
会計士の夫が、仕事前の朝食時に「会計の仕事は素晴らしい、悪いことをしたら絶対に帳簿に滲み出る」と言っていた。数字は、雑多なものを一律に計る、妖気に満ちたものだと思うけれど、真摯に扱うなら意味がある。夫の気持ちに仏性を感じた…彼はカトリックだけれど。

2025年5月某日
チェッツィオーラ『やし酒飲み』を読み始める。とんでもなくおもしろい。昔話要素が満載なので、大学院時代の友人にも伝える。彼女なら、絶対にけらけら笑って喜んでくれるはずだ。初めて「マジックリアリズム」というものの意味を、ちゃんと理解できた気がした。マジックリアリズムは、不条理を描いた小説に似ている。まったくアプローチは違うけれど。

2025年5月某日
兄などいないのに、兄に猛烈に怒られる夢を見る。兄は姿形は整っているけれど随分と野卑というか獣性が高いというか、とにかくこの世の人間からはみ出た人。起きて考えてみると、それは神話の世界の神のようでもある。が、とにかく恐ろしく、目が覚めてホッとした。

2025年6月某日
アテネ出発日。5月初旬の夫の術後の痛みが強く、カシスの調子も悪いので5月中はアテネ迷いに迷っていた。キャンセルしようと思ったけれど、夫がフランス人らしさを発揮し、「行けば治る」という。旅が大好きなカシスが旅で死んだとして、それはそれでこの子らしいのかもしれないと考え、暑さでバテないルート、無理のないスケジュールをびっちり考え、病院を調べ、重たい覚悟で決めたアテネ出発日。夜中3時ごろに、なんとなく胸騒ぎがしてメールを見たら欠航になっていた。バタバタと全部キャンセル。残念だけれど、結果的によかったかもしれない。

2025年6月某日
この村の近くの合気道の道場に行ってみた。1年ぶりに合気道を再開できた。こんな小さな村にフランス合気道の本部の道場があるなんて、本当に運がいい。道場からの帰り道、車のガソリンマークが点滅した。街灯も民家もない山道で燃料切れで止まったらどうしようと思って街まで遠回りして給油した。実は生まれて初めて一人で給油した。初めてって楽しいからほくほくして、途中で鹿が道を横切るのを見たりしながらゆっくり帰ったら夫に叱られた。夜給油するな、危ないって。

2025年6月某日
イタリア・サルデーニャ島で調べごとをする仕事の依頼。一人で行こうと思ったけれど、術後の痛みが強い夫がカシスに給餌を頼むのは難しい。迷っていたら、フェリーで近くの港から行けることがわかった。コストも飛行機で行くのと変わりない。仕事を受けることにする。

サルデーニャ。

サルデーニャ。

2025年6月某日
サルデーニャ滞在中。病院を調べるミッションなのと、終末期の老犬と、慢性的に体が痛い家族とともにいる旅行なので、「死」を考えるのもこの旅の一つの特徴。サルデーニャにアカバドーラという、安楽死をもたらす女性が1950年代まで存在していたことを知る。サルデーニャはカトリックだが土着信仰が色濃く、「死は移行」「他界への橋渡し」という発想があったらしい。アカバドーラは年配の未婚・寡婦・子なしの女性が暗黙に選ばれ、「母性の超越的役割」を引き受ける存在。社会から「はじかれる」「周縁化される」人が、「中心=境界を媒介する特別な役割」を担うようになることは、人間社会には繰り返し現れてきたものだ。「社会のつまはじき」から「聖なる媒介者」へという移行。私、アカバドーラの資格アリだわ、と思う。カシスはすこぶる元気で、部屋の中をよく歩く。

2025年7月某日
アルルで日本から来ているAさんと会う。恐ろしく暑い日。車で一人でそこまで行くのは初めての体験だから心配していたけれど、なんてことはなかった。でも変にアドレナリンが出ていたのか、それとも息を吸いながらOui、Nonと返事をするフランス人のおしゃべりがうつったのか、しゃべりまくってAさんを辟易させた。

2025年7月某日
7月中に湖で泳ぐという予定を立てていて未達だったので、徒歩5分の湖で泳いだ。本当はフランス屈指の「泳ぐのに最高の湖」、ヴェルドン渓谷の湖で泳ぎたかったんだけど。皆さん車でやってきて泳いでいるし、これも体験。
湖の幅は120mくらい。泳ぎ渡れるでしょと思ったのだけど、真ん中辺りまで泳いだら、急に怖くなった。でも足つかないし、やめるってわけにもいかない。ようやく対岸にたどり着いたら、近くで飛び込みをしていた男の子に急に「何歳?」と聞かれた。「え、年?」と思って、息を整えながら答えたら「Impressioné! 20歳くらいだと思った。僕たち13歳だけど、泳ぎ渡れないよ。パドルボートで湖の真ん中を横切ったら、1メートルくらいの魚見たから怖いし」って言われた!怖!戻りたくなくなったけれど、そういうわけにもいかない。復路で溺れたらきっと助けてくれるだろう、と思いながら戻った。バスクリンみたいな色なので、日本だったら私は泳がないと思う。私ワイルド〜って思いながら泳いだ。経験値が1あがった。1mの魚はコイかなと思ったけれど、後でClaudeで調べたらパイクの可能性もあるようで、私ワイルド〜って思うけれど、もう泳がない。怖い。水は苔の匂いがした。

泳いだ湖。

泳いだ湖。

2025年8月某日
グラースで香水のお祭りがあるようで、ちょっと遠いけれど出かける。こういうふうに出かけた方が、カシスも夫も私も元気。Fragonardの頑張りがすごかった。グラースは好きな街。

2025年8月某日
サルデーニャから帰ってから一か月以上経った。カシスはときどき咳がひどくなるけれど、基本的には元気。私が用事等があって涼しい時間を逃し、抱っこ散歩に行けない日は、歩き回って散歩をせがむほど。毎朝10時前に森の中の散歩をし、木々の匂いを嗅がせたり、よその犬と挨拶させたりしている。食欲もあって、関節の痛み止めのあるフードを粉末にしたものを、茹で鶏胸肉のかけら入りの温かい茹で汁でペーストにして、ときどきウコンパウダーを混ぜて食べさせている。咳がひどいときはタイムローズマリーティーに、サルデーニャで買ったコルベッツォーロ蜂蜜を混ぜて飲ませる。南仏は立秋をすぎるとぐんと秋めくが、季節の変わり目に弱りがちなので、気をつけたい。カシスにはずっと元気で生きてほしい。かわいい。本当にかわいい命だと思う。

2025年8月某日
津田美幸「アナグマ」(『本日ノ亡者 娑婆ノ縁尽キテ』所収)を再読。生と死に関わるモチーフがたくさんある。作者は僧侶と聞いて納得。言葉遣い、描写、物語の運び、すべてとてもうまい。

2025年8月某日
何日か夫を朝の散歩に連れ出すことに成功していたけれど、夫は「いつも同じだ」と今日は来なくなってしまった。残念。
朝の散歩はここ4か月、毎日ほぼ同じルートを通っている。同じだけど体験はまったく違う。季節は毎日移ろって植物は育ったり枯れたりするし、日によって香りも違うし、リスが木に登ってかさっと音がしたり、鳥が飛び立ったり、糸蜻蛉が飛んできたり、散歩する人に話しかけられたりする。集中しているから毎回40分くらいの散歩が5分ぐらいに感じられる。加えて、毎日同じルートだから、その道の記憶は複層的になり、いつのことかわからなくなり、この道を歩かなくなる未来のことまで考えて過去と未来がここにある感じになる。これが、いろんな「道」とつくものが型を大事にする理由なのかもなと思ったりする。こんなことを考えるのは、テッド・チャン「あなたの人生の物語」の影響かもしれない。

2025年8月某日
アマンリゾートの経営哲学を夫と話していて、最高のホスピタリティは儀式に似てくると思った。様式を極めていくと時間を超越できる。先日の散歩の話、以前に参加したmadokaさんの香道体験、合気道のことなどを思い出す。

2025年8月某日
モンペリエで発酵プロジェクトを一緒にやっていたLとおしゃべり。彼女もナントに引っ越しEELVの党員になっていた。このエリアで私が感じた、「暮らしの実態に合わないことを『正しいこと』とされ続けると、それを聞いた時『またなんか独自ルールを話してるな』って思うようになるのかも」という発見を伝えてみた。

2025年9月某日
サン・トロペに引っ越し。急に決まった引っ越し&ミッションベース&家は夫の勤務先から提供されるので、前の家も1か月は確保することにした。夫はサン・トロペにとどまり続けたいらしいけれど、ここは暮らしにくい。道がひどく渋滞する上に状態が悪い。1泊3000ユーロなどのホテルが林立するのに、なぜこんなに道路の状態が悪いんだろう、お客さんは何か言わないんだろうか… と思いかけて気づいた。東南アジアのホテルに泊まった時、周りの道が未舗装でも「そういうものなのね」と受け止めていたな、と。そういうことだ。カシスは元気。

2025年9月某日
カシス、家の中をかわいい足取りでテコテコ歩き回る。元気。6年前に12歳で死んでしまったこの子の伴侶犬は10歳ぐらいからお出かけしようとすると知らんぷりをしていた。いろんな犬がいる。
カシスのおでかけ&旅好きな面と、ルーティン好きな面はどうやって同居しているのだろうと考えて、好きなのはルーティンではなく儀式・型なのかもしれないと気づいた。手順に見通しができると、その分一つ一つの行動に集中できるから楽しいよな、と。いずれにしても以前に書いた、「道」の話に通ずる気がする。

2025年9月某日
『こちらあみ子』再読。この小説はひどく恐ろしい。「ここではない場所で幸せになってほしい」が描かれてしまっている。今村夏子は本当にうまい。

2025年9月某日
カシスを言い訳にしてチャレンジしないと夫に指摘され、でも自分でもそうだとも思うので、フランス語研修を受けることにした。10月1日から。前の家からの方が研修場所に都合がいいので、夫がサン・トロペにとどまろうとも、私は一人で戻ろうかなと検討を始める。合気道道場も前の家の近くの方がいいし。犬はこのところ元気だから、研修先の近くのペットシッターさんにお願いできるかもしれない。というか、そうでもしなければ、私は何もできない。ペットシッターさんも検討し始めた。

2025年9月某日
目覚めてすぐに読んだティム・インゴルド『人類学とは何か』第4章に、関係性について「諸関係が展開していくと、それらが結集していくような存在が絶えず生まれていく」とあった。ハッとした。仏教でいう空と同じ発想だな、と。また、「あなたがこうした他者と交わり、そして同時に、自分と彼らを区別する時、この交わることと区別することは、内側から進行していく。すべての存在は、相互に働きかけ合っているというよりも、内側で働きかけているのであり、存在は働きかけの内側にあるのだ。」ともあった。これを即座に、卑近な自分の人間関係に引き寄せるのは危ういけれど、示唆がある。つねに関係性は毎回生まれているのだ。

2025年9月某日
語学研修の面談を受けに行く。B1-B2レベルだそうで、研修途中から参加になる可能性があると言われた。その後連絡が来て、研修開始が11月下旬になると言われた。テスト慣れしているのと、興に乗ってやりすぎてしまった。違うんだ、しゃべる訓練が私には必要なの、フランスに住んでてもしゃべる機会がないのよ…文法的に正しく話せる自信がなかったから自己紹介を暗記していったのも裏目に出ちゃった。

2025年9月某日
カシスの健康診断。かかりつけ医まで戻ってみてもらう。心臓がとても若いと言われる。フランスで出会う獣医さんは皆、自分の飼っていた犬や猫を安楽死させている。気軽にはやっていないだろうことは、皆さんのカシスへの対応を見ればわかる。人は自分がくだした大きな決定に疑いを持つような事実は見たくないものだ。去年から安楽死を勧められているカシスがまだ元気だと「うちの子ももう1年、生きられたかも」などと心が揺れるかもしれない。それでも熱心に診てくれて、ありがたい。
急に寒くなり、朝晩はご近所さんも暖炉を使い始めたようだ。夏の夕食はサラダ中心で発酵野菜が重宝していたのに、急に食べたくなくなって大量のニンジンラペと発酵紫キャベツの始末に困った。ので、ボルシチに入れた。さほど煮込まなくても野菜が柔らかくなるのでよかった。酸っぱいスープ、割と好き。

2025年9月某日
サン・トロペの、観光エリアど真ん中からちょっとだけ外れたお店でランチをした。お客さんを見て、地元の人が多そうだ、と踏んで。そしたら、犬がかわいいと、隣の席の老夫婦に話しかけられた。男性はかなり高齢。でも、丁寧で私にもわかりやすい言葉で話してくれた。記憶もはっきりしていて目がキラキラしていた。彼は今93歳、引退するまでは小さな新聞社の編集局長をやっていた、若い頃にあまり勉強しなかったから、80歳の時にアグレガシオンを取得した、とマダムが教えてくれた。80歳でアグレガシオン!「優秀な博士もいれば平凡な博士もいる。しかし平凡なアグレジェは存在しない」というらしい。「記憶力が衰えた〜」と怠けようとしていた私は反省した。

サン・トロペの街並み。

サン・トロペの街並み。

2025年10月某日
サン・トロペは何をするにも不便すぎ、暮らしを作るのは難しい気がする。カシスの散歩も自然の中ではなく、人混みの中になってしまう。カシスはかわいい、かわいいとあちこちで言われてうれしそうなものの、落ち着けない。夫もミッション終了後は前の家に戻ると言い出した。

2025年10月某日
夫の用事で前に住んでいたモンペリエへ戻る。夫が用事を済ませる間、Tさんとお茶をする。いろいろ話し、Tさんご夫婦のあり方に目から鱗がぽろぽろ落ちる思いだった。モンペリエに戻るなら、本当は合気道の道場にもおじゃましたいし、元大家さんにも会いたいし、渡仏当初の語学研修の友達とも会いたい。次は泊まりがけで来ることにする。

2025年10月某日
カシス、とうとうまた痙攣発作が出てしまった。以前は痙攣中に苦しそうに高い声でキーと叫ぶことが多かったのだけれど、声帯が弱ったのか、声が出なかった。痙攣が治った後、不安なのか、くんくん鳴き続けるのでので、湯たんぽをして温め、抱っこして過ごす。

2025年10月某日
夏目漱石『彼岸過迄』を読み終わり、これは自我観の話だと気づいた。この、内向的なぐだぐだとした記述はこの時代に新しかったはず。そのあと「私の個人主義」を読んだら、やはり西洋近代的自我のことがあった。

2025年10月某日
ずいぶん汚れてしまったので、カシスをお風呂に入れた。バケツにバスタオルを入れてからお湯を注ぎ、カシスを座らせ、シャワーでお湯をかけた。うっとりした顔をしていて、とんでもなくかわいかった。夜のお世話が大変で寝不足が続いても、このかわいさを見れば全部忘れる。毎日、ご飯をあげるときも、本当にかわいいお顔をする。息遣いもかわいい。

2025年10月某日
夫が機会があれば将来はアフリカで働きたいという。将来… どのくらい先かわからないけれど、すぐにだったら、私はまだフランスを十分経験していないなと思うから、ついて行くのはためらう。まあ、すぐではなかろう。すぐなら、カシスは連れていけないし。

2025年11月某日
ヨットのイベントに行った。防波堤まで歩いて、防波堤によじ登ってサンドイッチを食べた。風が穏やかで、夫の膝でカシスも安心していて、サンドイッチはおいしかった。帰りかけた時にカシスがクワンと鳴いたのでお湯をあげた。そこから前の家に戻ることにしていて、途中でいつも気になっていたビーチに寄った。白い砂浜が続いていて、それがキラキラ光ってとてもきれいだった。カシスは腕の中ですうすうと寝ていて、日差しも気持ちがよく、なぜこんなにきれいな世界を私たちは見ずに、戦争ばかりしているのだろうと思う。きれいだねと夫に言ったら、「私は神の表現として存在しているとスピノザは言っていた。ならば、神様は私の目を通して世界を体験しているのだろう」と教えてくれた。

2025年11月某日
母から、母方の祖母のダイヤの指輪がほしいかと電話。戦後に「供出ダイヤ」を販売する機会があって、そこで祖父が買ったらしい。父方ならともかく、母方の祖母はダイヤをほしがるような人には思えない。私は貴金属には興味がないのだけれど、服の裏に縫い付けておいて何かの時に手放すものとしてならほしいと伝えた。そんな時は来てほしくないけれど。

2025年11月某日
フランス語研修が始まった。今日は手続きがほとんど。ウクライナ人のOとHと2人と一緒に始めることになり、近くの街に住む彼らに相乗りを頼まれた。ロシアの攻撃が始まってすぐにOは娘と息子、Oの母親と甥っ子Hとフランスに来たのだそう。戦争から4年経ち、息子は17歳、Hは18歳になった。ウクライナを離れた時、Hは14歳。うんとすばやく大人になった感じがあって、戦争のむごさと悲しさと影響の巨大さを感じる。仮定法の勉強で、「もし私が動物なら、私は◯◯だ、なぜなら」という文章を作ったとき、彼は「もし私が動物なら、私は鳥だ、なぜなら自由がほしいから」と発表していた。

2025年11月某日
寒くて朝、車が凍っていた。カシスが未明から痙攣発作を起こしてしまったが朝には落ち着いていた。寝不足。夫が家で仕事をするというので、研修に行く。15時くらいに夫が電話をくれ、カシスの調子が悪いと言われた。Oは翌日が娘の誕生日だから早く帰りたがっており、30分早く切り上げて帰る。(Hはポーランドに家族からの書類を受け取りに行っていてお休み。ウクライナに入ればもう出られないから、家族とはポーランドで落ち合うらしい。)帰り道、間に合わなかったらどうしようと思って車を飛ばした。研修を始めた時、今始めなかったら私はダメになる、死に目に会えなくても仕方ないと思って覚悟したはずだったのに。夕焼けがきれいに見えた。帰ったら、カシスはすやすや寝ていてほっとした。

2025年11月某日
カシス、昨日までちょっと危うかったのだけれど、今日日向ぼっこをさせたのが良かったのか持ち直した。調子が悪い時もかわいいお顔でご飯を与えるシリンジにむしゃぶりついてくるので、なかなか思い切れないのだけれど、介護ってもしかしたらエゴかもなと思うこともある。地球環境がもっと厳しくなったらきっと新しい浄土信仰が生まれて、昔の人はひどい、大事な存在を自分の近くにいてほしいからというだけでこの世に引き留めていたと言われてしまうのかもしれない。そう思いながら排泄解除をしていたら、プピピピ、と小さなおならが聞こえて、思わず笑ってしまった。

2025年12月某日
カシスの調子がすこぶる良くなった。ありがたい。夫がどうしても家を空けなければならず、ペットシッターを探した。けれど、もう高齢で歩けず、給餌もシリンジでやらなければならないため、なかなか見つからない。休もうと思って研修講師に事情を話したら、気軽に「じゃあ、ここに連れてくればいいじゃない!」と言われる。柔軟すぎてびっくりしたし、ありがたかった。

2025年12月某日
カシスを研修に連れて行った。道中はOがめちゃくちゃかわいがってくれる。みんながとても好意的で、カシスもうれしそう。休憩時間に排泄させたり食べさせたりできてよかった。カシスは静かに寝ていられた。でも、毎回は負担だ。研修をオンラインで家で受けることもできるらしく、カーシェアの約束をしているOとHには申し訳ないのだけれど、そうさせてもらう日があるだろう。

カシスとの森の散歩のゴールはローマ時代の橋だった。

カシスとの森の散歩のゴールはローマ時代の橋だった。

2025年12月某日
Oが講師にクリスマスの贈り物をしようと発案してくれた。Oは本当にすごい人だ。周りのウクライナ人を助け、いつも冗談を言い、楽しい企画を考えて、みんなを巻き込む。ウクライナにいた時には物価差があるからできなかったと旅行にも積極的に行く。娘の楽しさを最大に考えている。一方で、自分の夫が戦地でいつ死ぬか、自分のザポリージャの家がいつミサイルで吹き飛ぶか、リモートワークしているウクライナの会社がなくなってしまうかわからない。
「研修にこんなふうに不安定な形で参加することになってごめん、車にあなたたちを乗せていかなければと思う気持ちがなかったら、私はこの研修は続けられなかったよ」と伝えたら「気にすることはないわ。今は世界が大変なのだから助け合って優しくして、笑うしかないのよ」と言っていた。

2025年12月某日
クリスマス休暇に入った。助かった。カシスの痙攣がひどく、夜中に鳴くことが増えて研修に行っても気が気ではなかった。義兄から今年は来なよと何度も誘ってもらっているけれど、どだい無理だ。痙攣は、トイレトレーニングを忘れられないから出てしまうのかもしれない。

2025年12月某日
カシス、痙攣も多く、排泄物も変わってきた。こんな状態の時にお風呂に入れる人はあまりいない。けれど、この子は体が汚れてくると落ち着かなくて寝なくなる。排泄がうまくできずに体を汚してしまい、拭うだけではかわいそうなレベルになってきた。だからお風呂に入れた。非常に穏やかな顔をしておとなしく洗われていて、お風呂から出したらよく眠った。よかった。

2025年12月某日
カシス、比較的元気で暖かかったので、カシスのダウンジャケットでしっかりと包んで暖かくして、久しぶりに森に連れて行った。でも森に入ってすぐにくんくん鳴き始め、軽く痙攣が出てしまったので急いで引き返した。もう散歩はできないのだ。体がずいぶん軽くなった。

2025年12月某日
このところ、カシスがなんだかぽってりと重くなっている。体重を測ったら、少し前まで1.6キロだったのに、1.9キロあった。むくみが強く、排泄ができていないのが理由だろう。かわいそうだ。抱いていると重力がわからないかのように、だらーんと脱力することが増えた。お尻の穴を刺激してあげないと排泄もできなくなった。それでも排泄ができれば安心するようだ。布団に戻り撫でてあげるとすっと眠る。寝息がかわいくてたまらない。

2025年12月某日
カシスが寝ている間にすうっと旅立てればいいとずっと願っているのだけれど、それは高望みなのかもしれない。痙攣も多く、むくみも強く、このまま引き止めておくのは酷すぎる。夫は安楽死はさせたくないと言う。私だってずっと一緒にいたい。せめて、太陽をもう一度味わわせてあげたい。でも頑張らせるのもかわいそうだ。病院に連れていけば安楽死を勧められるから、ずっと嫌だったのだけれど、そのほうがカシスにとっていいのかもしれない。…そう思って動物病院に連れて行った。案の定、勧められたけれど、夫が粘り強く方法はないかと聞いたら、CBDを試しましょうと提案してくれた。

2026年1月某日
CBDが効いている! ここ数日痙攣していない。夜間のお世話は続いていて寝不足だから気づいていなかったけれど、CBDを飲ませ始めてから一回も出ていないことに気づいた。ありがたい。痙攣は体に負担だろう。よかった。それでも、もう長引かせるのは酷だ。痙攣がなくても肺炎と虫歯からくる炎症もあるし、夜はあまり眠れない。命を「閉じていく」支援が必要だなと夫と話し合う。夫とこういうことが話せてよかったと思う。

2026年1月某日
もうこのまま研修に行けなくなるのかなと思ったけれど、カシスはこのところ水分摂取や排泄などで夜中2、3回起きたがるほかはよく眠る。日中はさらにかわいい姿でよく眠っている。夫が日中はみられる。正直、昼間少しでも外に出る機会がないと、持たないと思う。なので再開することにした。

2026年1月某日
コロナに感染してしまった。睡眠不足で抵抗力が落ちているからだろう。変な病気だ。数日経っても熱が38度以下にならない。家庭内で隔離にしたいけれど、カシスのお世話は夫にできない部分が多い。カシスの体がずいぶん汚れてしまったので、へろへろになりながら、お風呂に入れた。痙攣も出ず、その後よく食べ、清潔になってうれしいのかよく寝ている。最近お腹も空いておらず、排泄も終えていて、水も薬も飲ませ、寒くもなく、居心地がいいはずなのに何を要求しているかもわからない鳴き声を立てながらぐねんぐねんと転がることが増えたので、生きていること自体が不快なのかなと心配していたから、かわいい寝顔がうれしい。

2026年1月某日
コロナ、2週間かかってしまった。…と思ったら、昨日から夫がコロナに罹患し重症化してしまった。訪問看護師が違う会社から時間差で2人来ることになって混乱した。モンペリエの病院の先生と今のかかりつけ医の連携がうまくいかなかったらしい。事情がよくわからなくて私に対応できないので、高熱の夫が対応する。カシスが元気でよく食べ、よく寝て、かわいいのが本当に救い。テストはオンラインで受けられないと言われたので、カシスを連れて研修に行った。みんなコロナにかかったと言っているのに気にしなすぎて逆に不安なので、「集中したいので」と言いながら別室でテストを受けさせてもらう。

2026年1月某日
カシス、新しい技を身につけた。この年になって進化! トイレシートではなくトイレで排便できるようになったのだ。…まあ、私がお尻を刺激して排便させるときにトイレに連れて行くようになっただけだけど。考えてみれば、カシスは子犬の時、便秘がちで、同じようにお尻をもじょもじょ刺激してあげる必要があったのだった。あのときは、お尻を刺激されて困ったような、情けないような恨めしい顔で私を見ていた。今はおとなしくしている。

2026年1月某日
空き家だった上の階に年末に新しい入居者が入ったので、夜中のカシスの悲鳴が聞こえて迷惑していないかと心配していた。今日ようやく話せて、夜中は何も聞こえないと言われ、それどころか、2か月のベルジェ・ド・ボースミックスの子犬を道で拾って、昨日連れ帰ったのだと見せてくれ、うちこそ犬の鳴き声が聞こえないかと心配された。状況が説明できたし、迷惑になっていないこともわかったし、子犬が元気でかわいくて泣きそうになった。
カシスの耳が臭くなってしまったけれど、洗ってもダメなので、このところの不穏は耳のせいかもしれない。行きにくいけれど、心を奮い立たせて動物病院に連れて行った。虫歯対策の抗生物質も切れてしまったし。12月中旬まで歯磨きを1日2回できていたけれど、歯茎からすぐに出血するようになってしまい、そうなると食べなくなってしまう。歯磨きできないと虫歯も悪化する。虫歯対策に抗生物質が必須なのだ。

2026年1月某日
夜中鳴き始めて何をしても30分以上も収まらない。夫はコロナが治っていないので、静かに寝かせてあげたいのだけれど。ここ数日、カシスは寝たままおしっこをするのは嫌になったようで、外に出たがる。冷えると痙攣してしまうかもしれない。でもおしっこができなくても痙攣してしまうかもしれない。迷いながら外に出る。なるべく寒くないように暖かいタオルで支える。空気がきりりと冷たく、星がたくさん見えた。もう整理できない不快感が強いのだろう。

2026年1月某日
久しぶりに夫がカシスを日中見てくれて、一人で研修に行けた。昼間はぐっすりと寝ていたらしい。帰ってきて見たカシスはとてもとてもかわいかった。24時間ベッタリではないほうがこの子のQoLにもいい。ただ、今夜は本当に落ち着かない。ずっと悲鳴を上げ続け、やたらに歩きたがり、支えて歩かせると反時計回りにくるくると回り続けてしまう。もう見えないだろうのに、眼球が忙しく動いている。もう終わらせてあげないとかわいそうなのかもしれない。寝ている時、ご飯を食べている時には本当にかわいく美しい命だと感じて、終わらせるのは罪深いとも思う。今2:48。

2026年2月某日
このところまったく眠れていなかった。思いついて、昨日は21:00に就寝することにした。その結果、夜間はいつも通り何度も起きることになったものの、昼間眠くて困ることはなかった。私たちは日頃宵っぱりすぎる。カシスは私たちのいろんな問題をどんどん解決してくれている。夜中、カシスはつるんとした、見事な形のうんちをした。

2026年2月某日
野生動物ならとっくに旅立てたのに、苦しい命を引き止める権利はあるのだろうか。いや、野生動物なら生まれてすぐに死んでいたような脆弱な命をペットとして愛玩してきたのだから、どんなことがあっても最後まで命に伴奏する責任があるのだ。しかし…とずっと逡巡してきた。でもここ数日、本当に苦しそうだったから決めた。安楽死を選択するのがこの子のため、と夫と同意し、動物病院に行く。けれど、直前でぐらつく。食べるためならともかく、大きな病気もないのに命を奪う権利は誰も、本人すら持っていないのだ、命は全うされる必要があると、夫が訴える。いろんなことを乗り越えて生きてきた夫の、raison d'êtreに関わる言葉だと感じて、もう二度と安楽死を選択肢に入れないことにする。

2026年2月某日
私たちの覚悟が伝わったのか、カシスは少し食べる量が増え、元気が出てきた。夫は、「赤ちゃんも食べた後ゲップが出るまで抱き抱えて背中をとんとんする」などと言いながら、カシスを抱っこして家の中を歩く。微笑ましいが、同じことを求められるので、ちょっと辛い。仕事の締め切りがある。

2026年2月某日
このところ、研修の行き帰りに車でウクライナ人Oがひっきりなしに電話している。ウクライナにかけているという。家族かとても親しい人に電話しているのだということは、ロシア語だからわかる。Oの出身地ザボリージャはもともとロシア語圏だったけれど、侵攻が始まってからは連帯を表すために友達や同僚とはウクライナ語で話すらしい。ザポリージャは電気が使える時間が限られている。その時間が以前よりずっと短くなっていると教えてくれた。義母の認知症が悪化してしまったけれど、病院も電気や水がないからと退院を勧められ、一人で家に戻ってもらうしかないらしい。これを理由に夫に除隊資格が得られないか調べているそうだ。
足りない物資をウクライナに送るために、研修中ランチタイムに急いで買い物に行き、Hに持たせて帰ってくる。ウクライナでは年金据え置き、物価3倍だそうで、物を送らなければ暮らせない。ときどき、フランスでしか買えないお菓子をウクライナに送って小銭を稼いでもいるようで、その逞しさに惚れ惚れする。美人で修士号を2つ持っていて、今でもウクライナの化学企業の経理部長だ。「来たくて来たフランスではない、早く国に帰りたいのだ」と熱心にいう。

2026年2月某日
カシスが大きな痙攣を起こしてしまった。1か月半ぶり、安楽死を選択肢から外して2週間目。ずっと寝たままでおしっこをしていて、その度によく拭いてはいるけれど、かわいそうな感じになってしまったからお風呂に入れた。それが悪かったのかもしれない。お風呂に入っている時にはとても気持ちよさそうだったのに。痙攣後はまた落ち着いて眠っていたのだけれど、再度悲鳴をあげて動き回るので、抱き上げている間におしっこをし、カシスも部屋もパジャマも汚れてしまった。わたわたと片付けていたら夫が途中で起きて一緒に対処してくれた。ありがたかった。最後に大きな痙攣がきて、そのまま旅立つ可能性が大きいと獣医さんに言われたのを思い出した。今3:30。

2026年2月某日
いつもは華やかな香りを発しているOが、今朝は車に乗り込んできたらひどいお酒臭さ。今日はロシア侵攻丸4年だという。毎朝、起きた瞬間に夫が無事か、自分たちの家がまだ攻撃されていないかと心配する、その生活が4年。カシスを連れずに研修場所につくとみんながいつも「カシスは元気?」と聞いてくれる。

2026年2月某日
カシスの薬が数種類、切れてしまいそう。もう薬漬けだ。抗生物質とCBDとホメオパシーの痙攣予防薬2種と肺炎予防薬1種。安楽死をもう勧められることはないだろうけれど、彼らのethicに合わないことをしている自覚はある。行きにくく、ネットで調べたら抗生物質以外は買えるとわかった。しかも手頃。

2026年2月某日
夜中、カシスは悲鳴をあげて食べさせても飲ませても、薬をあげても排泄を促しても、抱っこして何をしても落ち着かない。体を捩って足をバタづかせ続けるので、試しに足を床につけさせ、支えて歩かせてみた。すっと落ち着いた。この子は子犬の頃、食べずに動き回りたがる子だった。

2026年2月某日
カシスの意識がはっきりしなくなってから、もう随分経つように思う。いつからか、きちんと書いておかなかった。でも食べる時には目に力がある。特に鶏胸肉や七面鳥のポタージュをあげたときには。腎臓への負担を考えてお肉のポタージュは控えていたけれど、今は腎臓よりも元気さの方が大事。少し前から自分では立てなくなったけれど、それでも立とうとする意欲はあった。でも今は立とうとして、すぐにやめてしまう。夫と二人でずっと体をマッサージしたり、薬を飲ませたり、食べさせたりしている。落ち着かずに鳴くとき、以前はフルートのような、木管楽器を高く吹く鋭い鳴き声だったのだけれど、ここのところ枯れてしまってヒャウヒャウと鳴く。

2026年3月某日
カシス、少し調子が良くて安心する。テストがあるので研修に行く必要があった。夫にカシスを頼んで出かける。パソコンを使ったテストで、自分のパソコンを持ち込んでいいことになっていた。講師が真面目に試験監督をしないで部屋を出てしまう間に、Oがひっきりなしにがちゃがちゃとクリックしているので気になってチラリと見たら、右クリックして翻訳を表示していた。逞しくて笑ってしまった。好き。

2026年3月某日
カシス、食べたがるけれど嚥下力が下がって来たようだ。口の端から食べ物が垂れてしまう。薬をちゃんと飲めないと体が辛いだろう。これまで薬も水で溶いてシリンジであげていたけれど、それだときちんと飲めない。かわいそうだけれど錠剤を指で口の奥に入れて飲ませることにする。食べたがるたびにちょこちょこあげているので、こぼしはしてもある程度は食べられる。排泄もちゃんとできている。ただ、いきむ力もなくなって、お尻と腸のあたりをむにゅむにゅマッサージしたあと、きゅっと押し出してやらないと出なくなった。介助というより介入。命を素手で触っているような気持ちがする。

2026年3月某日
カシスが少し落ち着いている。といっても、静かにしているだけ。時間をみて寝返りを打たせ、食べさせ、飲ませ、排泄させているだけ。かわいそうに。ひゃうひゃうと鳴く時、全身をマッサージをしてあげると、落ち着く。
翌週月曜から語学研修内で義務の企業研修が始めるのに、研修先が決まらない。そもそも、週5回、朝9時から17時までなんて、この寝不足でへろへろの時に無理かもしれない。事情を話して融通してもらうには知り合いに頼むしかない。合気道協会にお願いしようと思って、道場のAに連絡。

2026年3月某日
Aの会社で企業研修開始。合気道協会ではなく自分の会社で受け入れてくれたのだ。こっそり3時間のみでOKにしてくれた。みなさん歓迎してくれていろいろ見せてくれる。取材者のように見て周り、社長室でAとおしゃべりする。後で日本語パンフレットを作ることにした。帰るとカシスはぐっすり寝ていたと夫が言っていて、安心する。

2026年3月某日
昨日企業研修が終わった。カシスはそれまで落ち着いていて、よく食べてもいたのだけれど、今朝からほとんど食べなくなってしまった。七面鳥のポタージュを飲ませている。唾液の粘度が変わった。今まではかなり粘度が高くて、ちょっと舐められると水で洗ってもしばらくぬるついていたのに、今はまったくそれがない。水のよう。
語学研修もあと1日で終わる。書類にサインをする必要があるから行かなければならない。その後、みんなでご飯を食べようといっていたけれど、私はサインをしたらすぐに帰らせてもらうことにする。

2026年3月某日
研修先に言ってタッチで帰ってきた。この4か月、カシスの頑張りに甘え、出張がある仕事を断って家にいてくれた夫に甘えて研修に行ったのだ。ありがたかった。夫は私が出ている間、カシスに蜂蜜を溶かしたぬるま湯を何度か飲ませてくれたらしい。抱き上げると負担になりそうなので、静かに寝らせておく。
一瞬晴れたときに、上階の子犬がうちの駐車場に走ってきた。子犬は走ることそのもの、生きていること自体が楽しそうだ。カシスもそうだった。ずっと走り回るのが好きだった。

2026年3月某日
カシスに七面鳥とサツマイモの薄いポタージュをあげようとしたけれど、水分以外は歯茎の外側に溜まってしまう。蜂蜜水をあげていたら胃が荒れてしまったのか、吐息の匂いが酸っぱい。かわいそう。ポタージュを茶漉しで漉して、上澄みだけ与えると、舌を動かしてよく飲む。
夫がリカバリー用の缶詰をカシスのために買うと言い張る。その缶詰はカシスは一口目は喜ぶけれど、すぐに食べなくなる物だから効果はないと私は思った。けれど、どうしても食べさせたいという。買ってきた缶詰を七面鳥スープの上澄みと混ぜて飲ませたら、口をガッと大きく開けて食いついてきた。一生懸命食べ、まだ食べたそうに口をパクパクするので追加してあげて、けっきょく20mlくらい食べた。昼も夜も食べたがって食べた。このところで一番食欲があった。夫の思いに答えてくれたのではないかと思う。

2026年3月某日
起きた時、カシスが、もうここにはいない顔をした。脱力度合いが激しい。目も口も筋肉も弛緩して、ちゃんと閉じられないようだ。呼びかけたり撫でたりしてもほぼ反応はしない。眼振もほとんど出なくなった。静かに呼吸をしているけれど、ときどき息がフィーとなる。不穏な音。舌なめずりをするので蜂蜜水を飲ませる。呼吸数が1分に11回しかない。土日の間に亡くなる可能性も考えておかなければならない。氷を作る。

2026年3月某日
カシス、朝を迎えられた。夜中、心配で2回起きたのだけれど、カシスは静かに呼吸をしていた。床ずれしないように、ゆっくりと寝返りだけさせた。この2日、私たちはよく眠れている。疲れて私たち二人ともちょっと言葉がきつくなりがちだからありがたいけれど、起こされないのも寂しい。

2026年3月某日
昨夜、カシスが旅だった。

2026年3月某日
久しぶりに深く眠ったようで、起きたらどこにいるのかわからなかった。しばらくして、カシスのいない世界にいるのだとわかった。ノウルーズか。新しい年に新しい世界に来てしまったな。せめて、周りの人に優しくしよう。カシスみたいに。

2026年3月某日
柩をあらかじめ用意するのは気が進まなかったり頭が回らなかったりして、できなかった。せめて無垢材の木箱に入れてあげたいと思って探しに行ったけれど、ふさわしいサイズのものはなかった。DIYショップに行って、既存の箱に蓋をつける相談をしたら、「それより木を組み立てて作ったら?」と勧められた。やたらに分厚い板をちょうどいい大きさに切ってもらい、釘を打ちつけて作った。作ってみて、たしかに素人にはこのくらいの厚みがなければ釘がうちにくいとわかった。ちょっぴり歪んでいるけれど、私たちらしい箱ができた。何か手を動かしている方がいいみたい。木箱はカシスが好きだった山小屋の匂いがする。

2026年3月某日
おじいちゃん犬カシスと、2019年に旅立ったカシスの伴侶犬志津絵は、モンペリエの元大家さんのお庭が大好きだった。散歩ではいやいや歩くようなときも、家について門を開けると急に「きゃー!」とはしゃいで私たちの住む家のわきを通り抜け、大家さんの家の方に走っていき、その先の広いお庭に続く緑のトンネルに行きたがった。なので元大家さんにお願いして、2匹の毛をお庭に埋めさせてもらいにいった。…という言い訳で元大家さんに私が会いたかった。大家さんに会う前に、毎日2匹と歩いていた散歩コースをぐるっと回った。元大家さんご夫婦は全く変わらず、普通のおしゃべりがうれしかった。お庭に2匹の毛を埋めさせてもらった直後に大粒の雹が降ってきて、帰り道では虹がずっと見えていた。

2026年3月某日
小川洋子『密やかな結晶』を再読している。何を読んでも目が滑るので、さまざまなものをなくす作品ならいいのかな、と。1994年の作品だけれどまったく古びない。カシスをなくしたことに通ずるだけではない。実際に「消滅」を経験することがあるような気がする。最初にそう思ったのは2011年の震災直後で、あのときは何を食べるかが政治化して、「安全な話題としてのおいしいもの」が消滅した気がした。それ以降もたくさんのものが「消滅」してきたのかも。今も「消滅」の対象になっているものがある気がする。
カシスの伴侶犬志津絵が生きていたら、今日で19歳。あの世とか天国とか、私はあまり信じていない。だけど、あったらいいなとは思う。元気な体で走り回っていればいい。

2026年3月某日
火葬の予定の日。あまりにかわいい姿のまま旅立ったので、夫がずっと手元に置きたいという。暖房を一切使わないでいるからか、亡骸はまったく変わらない。でも、このままにするわけにもいかない。ただ、火葬場から確認の電話が入り、その電話があまりに失礼だった。この会社は伴侶犬の志津絵の葬儀の時にも本当にひどかった。また同じ経験をする必要はないとキャンセルし、大家さんの教えてくれたことをヒントに調べたら、一定の条件で土葬ができるとわかった。

2026年3月某日
3か月ぶりに隣の森を散歩した。ちょっと前まで毎日散歩していたのに。福寿草やヒメオドリコソウ、ツルニチニチソウ、マーガレットがそこここに咲いていて、明るくて、土のいい香りがした。猪がほじくり返した跡から腐葉土を少しもらってきた。

2026年3月某日
カシスを土葬した。たくさんお花を敷き詰めて、杉の無垢材のいい香りのする棺に入れて、森のいい香りの土を使って。まだ亡くなった時と変わらないかわいい姿だった。
土に還すのが一番私たちらしいし、カシスらしい。気づけば夫はリジェネラティブな取り組みにかなり詳しくなっていて、土に還す発想に心慰められたようだった。カシスは森の落ち葉のなかを走り回るのが好きだった。今年は土づくりと発酵を頑張って、家庭菜園でもやろうかな。あと上階のうちの子犬が遊びに来たらもてなして、近所の猫もかわいがろう。鳥の餌台も作ろうかな。

2026年3月某日
原稿の締め切りがあるのがありがたい。カシスが旅立つ前、夫に「清香は外に出ない」と言われるたびに「カシスがいるのにどうやって」と思っていた。だから小さい理由で外に出る。けれどちっともおもしろくない。それでも外に出て、外で原稿を書いたり本を読んだりしている。

2026年4月某日
合気道の道場の人やモンペリエの道場の人、研修先の人、いろんな人が心配してメッセージをくれていたのに返信をする。ウクライナ人のOと会う。2027年3月にウクライナ人は今の保護対象の身分を失う可能性が大きくなった。あんなに「私は経済移民ではない」と言っていたのに、スーパーの寿司コーナーのCDIをすることにしたらしい。週6日勤務らしい。滞在許可を取るためだ。Oの息子もHも帰国したら即座に兵士として取られてしまう。Oが最初の夫を病気で亡くした時の話をしてくれた。

2026年4月某日
日本の仕事を増やし、フランスでも就職するか仕事を作るかしようと思い立つ。フランスで就職するならエッセンシャルワーカーがいいと思うけれど、ほとんどの仕事に資格や経験が必要だと知る。即座に自分で仕事を作ることに切り替える。放置していたいろんなこと、ニューズレターや勉強会のお誘いや運動や片付けをやろうと決める。

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